【湯浅政明監督一流の表現主義的な芸術路線でくるのか、あるいは逆に最近流行の叙情的な「泣かせる」路線でくるのか、そのどちらかなんだろうな……と予想していたら、そのどちらでもなかった。少女漫画的王道路線をあえて貫いた優れた脚本と、美しく切なく描かれる「水」のアニメ、その調和・バランスが近年稀に見るほどに素晴らしい。奇をてらわず、押し付けがましくなく、そして、楽しく美しいファンタジー(フィクション)なのに、そこには確かなキャラクターの命を感じさせる……。アニメの良さを真面目に追求した、こんな正統派のアニメ映画を僕はずっと待っていた】

正直申して、これがこんなに良い映画だとは全然予想していませんでした。自分的大穴。現在のところ今夏長編アニメ映画の抜群のイチオシ候補です。

湯浅監督の前作『夜明け告げるルーのうた』が芸術的追求が過ぎ、物語もやや詰め込み過ぎな印象で、挑戦的な表現は素晴らしいとは思ったけれどあまり純粋に楽しむ事が出来なかったので、またそっち系に極端に振れた不思議盛り盛りのラブストーリーなのか、あるいはその反動で流行の「雰囲気感動系大作」に振れてしまうのか……と思っていたら、まぁ全然そうではない、これはこの映画でなければ表現出来ないというレベルで物語と表現、共に突き詰められた久々の真っ当な大作映画でした。予想を超えた素晴らしさに、正直驚いています。

王道少女漫画のような端正な脚本(『若おかみは小学生!』の吉田玲子さん)が前半、暴れ馬「湯浅節」の暴走を「どうどう」と抑え、そして後半、湯浅さんの確かなアニメ美学が美しくも悲痛なラブストーリーをファンタジックに展開させ、最後には怒涛の感動的なクライマックスに到達させます。

アニメをアニメで例えるのは下手な感想だとは思いますが、この感じは面白かった頃のジブリ映画のテンションと展開の上手さ、そして「筋の通った美学」を懐かしく思い出させ、これほど真面目で王道、ストレートに胸を打つタイプの大作アニメ映画は本当に久々なのではないかと思います。

予告で明かされている様に、この映画のプロットは「死んだ恋人が思い出の歌を歌うと水の中に現れる」という結構悲痛なものです。

この映画の凄いところは、その喪失の物語をアニメ・ファンタジーの力で誤魔化すのではなく、命のドラマとして正面から向き合っているところにあると僕は思います。奇跡が起きて「死」がなかった事になる訳でもない、「いい話」にして丸く収めるのでもない、ふんわりファンタジックなハッピーエンドに落とす訳でもない。……勿論、この映画自体はファンタジーの地平にあって、その表現は非常に詩的で幻想的なのだけれど、そのファンタジー表現、王道少女漫画的脚本の二つの幹の根幹には、リアルな人生と分かち難く存在する「物語」として、この映画を切実な「生命の賛歌」として表現しようとする意思がはっきりと感じられます。

しかし、その誰もが経験する愛と喪失(あるいは死別)のドラマはあまりにも普遍的に過ぎ、小説や実写映画で表現すると「ベタ」「お涙頂戴」「嘘くさく」なりがちで、その点、この作品は湯浅節の美しいアニメ映画として描かれたからこそ、「生きることの物語」として観る者の心を揺さぶる傑作になり得たのだろうと僕は思います。

そしてこの映画、声の演技陣が適所適材で非常に素晴らしいです。

声優ではない演者の声の出演・吹替に様々な意見が飛び交う昨今ですが、この映画の四人の主人公(非声優)の描くドラマに耳を傾ければ、声優であろうがなかろうが良い表現がなされていればなんら問題はない(声優かどうかではなく、表現の良し悪しに問題がある)という物事の本質がよく解ります。

ヒロイン・ひな子役の川栄李奈さんは微妙なニュアンスの表現がべらぼうに上手い。その上手さは表現の巧拙というレベルを超越していて、ひな子の喜び、幸福、苦悩といった人生そのものをまるで本物の様に生々しく、リアルに感じさせます。

アニメにおいて「涙を描く」という表現手法が僕は大嫌いなのですが(感動させようと「描かれた」涙は物語表現の敗北宣言に等しい)、この映画の終盤に描かれるひな子の慟哭シーン──これは生と死に正面から向き合う吉田玲子脚本の真っ当な帰結、「泣かせようという浅ましさ」とは無縁の湯浅政明クリエイションの正しさ、そして、川栄さんの嘘を感じさせない声の表現、それら上質な創作の至るべくして至った結末として、深い深い共感と感動を覚えずにはいられませんでした。「悲しみの克服」を「希望」や「強さ」といった綺麗事だけで美化しないこのリアルなシーンがなければ、僕はこの映画をここまで好きにはならなかったろうと思います。

そして一方、死んでしまう恋人・雛罌粟港役の片寄涼太君は川栄さんの様に「非常に上手い」という訳ではないのだけれど、少し浮世離れした雰囲気の語り口が大変豊かでファンタジックな空気感を作っていて、観終わったあと、まるで港という青年が本当に生きていたかの様な不思議な余韻を心に残します。「声優を使わない」事それ自体が自己目的と化してしまう以前のジブリ映画で、非声優の演者が図らずも生み出していた「演技ではない自然な存在感」に似た、彼の配役は非常に的を得た意味あるものだったと感じました。

そして港の妹と後輩役、松本穂香さんと伊藤健太郎君もリアリティーある存在感で物語の外周をしっかりと固めます。特に松本さんの妹・洋子ちゃんは塩対応が基本のキャラクターにも関わらず、その芯の愛らしさを確かに感じさせ、これは松本さん自身にとっても大変良い儲け役となったのではいなでしょうか。

重箱の隅をつつくならば、消防士男子たちが消防士としてあり得ない非マッチョな優男だとか、ひな子のアパートが一人暮らしにしては豪華すぎるとか、シャカポーズが古くさいとか、なんとなく「非現実的な」設定が気になってしまう方もいらっしゃるかもしれません。しかし、これは総て「王道少女漫画的世界」をこの映画は地平としているという事の故意的な、いわば視覚的な宣言であると僕は思っていて、その前提を受け入れて楽しめば、この映画は必ずや観る人の心をストレートに揺さぶる事に違いありません。

これは是非とも観て下さい。

きみと、波にのれたら 6/21(金)公開


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