登場人物それぞれが体験する恐怖の未来が自動的に記されてゆく『怖い本』。その本の様に、この映画、恐らく観る人の受け取り方によってそれぞれ「恐怖」の質が変わってきます。僕にとって、これは本当に本当に怖い映画でした……。ホラー好きだけでなく、詩情と暗喩に豊んだヨーロッパ映画、表現の奥底に真意を込める文芸映画が好きな人にこそ、是非観てもらいたい一本です。これは単なる「おはなし」ではない、観客の身の上に起こっている現在進行形、生々しいメタファーの恐怖。オトナこそ必見の一本です。

これは本当に凄い映画。個人的にファンタジック・ホラーで恐らく今年ぶっちぎりの一番。ここ十年でもきっと五本の指に入ると思います。上に書いたように意味深な文芸映画好きな人は必見、「ホラー」を題材にした暗喩的文芸映画の大傑作です。

あまりにも怖くて子どものトラウマになるとアメリカの図書館で禁書騒動が起こった児童文学が原作。みんな大好き、ギレルモ・デル・トロが企画・制作とクリーチャー造形を担当(これは絶対観なきゃ!)。……それぐらいの前情報しか入れずに観に行ったので、最初、「発禁騒動があったとはいえ古い時代の話だし、児童文学。まぁ、ギレルモのファンタジックなクリーチャーの怖さと美しさだけ楽しめればいいか……」ぐらいな気持ちだったのですが、その予想は見事に、まんまと裏切られました。

『it』の様なティーンエイジャー主人公の青春ホラー、あるいは『サマー・オブ・84』の様な「俺たちが好きなホラー」へのオマージュぐらいの怖さレベルなのかな?と思いきや、実は全然そうではなくて、『ディアハンター』や『地獄の黙示録』『七月四日に生まれて』のそれに近い「怖さ」がじわじわと心に拡がる、まさにギレルモ・デル・トロ監督の代表的鬱映画『パンズラビリンス』の〈1968年アメリカバージョン〉とでもいう様な、幻想と現実の境界に恐怖のピントが重なってゆく感じ、本当に恐ろしい映画だったのです……。

上の様な感想を「ちょっとなに言ってるかわからない」と(このレビューを読む読まないにかかわらず)思う方は、きっと全然そんな風には感じずに、それぞれ「青春ホラー」「比較的シンプルなホラー」「ホラーとしてはそんなに怖くなかったけど、デル・トロのクリーチャーは美しかった!」という様な感想をお持ちになると思いますし、それはそれで良いと思うのですが(それこそが、それぞれ観客の心に書かれる『怖い本』の物語なのだと思います)、僕の感じでは、この映画の作り手はある明確な意図をもって、この映画を多層的な入れ子構造にしている──と強く感じました。そして、それがものすごく絶妙な匙加減で巧い。

冒頭、「1968年」というスーパーインポーズが表示されたアメリカの60年代の田舎町の風景、ティーンエイジャーたちの日常描写からこの映画は始まります。鉤十字の落書きがされたニクソンの大統領選挙ポスター、主人公の部屋に貼られたホラー映画のポスターやカートゥーン、雑貨……まず、そのファンタジックかつ妙にリアリティーのあるセンスが観る者の心を掴みます。画面を見るだけで充分60年代アメリカと判るレベルで細かく画が作り込まれているのに、どうしてわざわざ「1968年」と具体的な年代設定を明示するんだろう?と、僕は冒頭でかすかな違和感を感じましたが、その理由は映画を観進めていくうちに徐々にはっきりします。

映画自体のストーリーは明快。いじめる側といじめられる側、この手のホラーで定型的なティーンエイジャーたち、いじめられる側の少年少女たちが閉じ込められたいわくつきの幽霊屋敷で一冊の本を見付け、空白のページに増えてゆく新しい「恐怖の物語」通りに、それぞれの身に恐ろしい未来が訪れてしまう……。

それをそのまま、額面通り受け止めてしまうと、これはまぁ、それまでの映画なのですが………

※ここから先、「ネタバレ」ではありませんが、筆者自身が受け止めた『怖い本』の物語の意味について書きます。まずは自分自身で映画を観て、自分にとってこの映画がどんな『怖い本』なのか素直に感じる方が絶対に面白いと思いますので、まだ映画を観ていない方はここから先はまず映画を観てから、「さて、この筆者にとってはこの映画はどんな『怖い本』だったのか?」と感想を交わす様にお読み頂ければと思います。ここから先の内容は映画を観た後「そういう事だったのか……(一つの解釈として)」と思う方が映画を純粋に楽しめると思いますし、きっと「怖い」です。

この映画はギレルモ・デル・トロのホラー映画(ダークファンタジー)なので、『怖い本』によって引き起こされるそれぞれの未来の「恐怖の物語」は「何らかの怪物に襲われる」という形で表現されるのですが……これ、この映画の登場人物それぞれ(そして、この時代の多くティーンエイジャーの)未来に待つ現実的な恐ろしい未来のメタファーになっているのではないだろうか?──と、僕は思うんです。

『パンズラビリンス』(06)はスペイン内戦、外の世界のファシズムの恐怖と少女の「内なる幻想の世界」、それぞれの世界を覆う悪夢的なイメージの連想を見事陰鬱な恐怖として描いていましたが、この一見平和な68年のアメリカの田舎町、少年たちの平凡な日常の少し先の未来には、遠い外国、ホラー映画どころではない悪夢の様な地獄が待っている訳です。(あえてはっきりとは言いませんが、お解りですね?)

この映画自体、何となくそれを匂わせるんだけど、わかりやすくはあえて明示していないんですね。「そう感じてもいいし、そう感じなくてもいい」というぐらいの塩梅、むしろ「深く考えなければ解らない」という程度で済ましているところがとても巧くて、逆に怖い。『パンズラビリンス』でのファシズムの恐怖は映画の最初から「既にあるもの」として劇世界の外周に存在していましたが、この作品では映画の途中でチラチラ映り込むテレビの選挙報道などで、その恐怖の未来が徐々に確かに近づいて来ている事がほのめかされます。つまり、1968年アメリカ、ティーンエージャーたちにこれから訪れる陰惨な未来、現在進行形の「恐怖の形成」として、まさにこの映画自体、当時のアメリカ社会の『怖い本』の物語として書き進められ続けている訳です。

時代設定でそう解釈できる──というだけではなく、登場人物たちがそれぞれ体験する恐怖と登場するクリーチャーたちの関係には色々な次元でのメタファーが込められていて、たとえば『指』の話、この、怪物の指を誤って食べてしまう(話自体はグロテスクコメディーみたいな挿話ですが)少年は、前半、「ベトナム戦争と関連した食品に関するデマ」を信じ、人肉が使われた(?詳しくは知らないのですが、当時そんな噂や情報があったのでしょうか?)食品の気味の悪さ、その食害によって自分たちの命が脅かされている──そんなお喋りを冗談半分、本気半分で友だちとしています。ここから①本人自身の深層心理にある「恐怖」が『怖い本』の力によって具現化されているというメタファーの構造が見えます。その恐怖の根本には当時の「社会の状況」があります。

次に兵役忌避の青年。彼は劇中で「自分の兄の体はバラバラになってベトナムから還って来た」と語っています。彼を襲うクリーチャーの形は……いうまでもありません。これはもちろん①の「深層心理の恐怖」の形でもあるのだけれど、彼の場合は他の少年たちとは違う形でドラマの結末(クリーチャーには殺されない)を迎えます。しかし、彼の未来にはこの映画のファンタジックな「ホラー」の次元ではない、また別の次元、現実的な「怖い結末」が待っている事がほのめかされるように物語が〆られます。つまり、彼の場合は単にホラーとしての設定ではなく②映画の作劇次元で「少年たちの未来に待つ恐怖」を「ホラー」「クリーチャー」として暗喩的・詩的に表現していると感じ取る事も出来ます。

②の構造から考えれば、『赤い部屋』、黒髪の目の細いグロテスクな女クリーチャーの体に優しく埋められてしまう少年の未来には、ベトナムのクスリや女、退廃的な魔窟への埋没、そして結局、赤い病院の一室で廃人として人生を終える……そんな悪夢の未来が見えてきます。クリーチャーの造形どころではなく(それ自体も暗喩的造形になっているのですが)、ものすごく怖い。

先に「兵役忌避の青年はクリーチャーに殺されない」と書きましたが、しかし、メイン登場人物たちは実は誰もはっきりとクリーチャーに殺されてはいません。少年たちは結局、消息不明の「死亡未確認者」となり、老人(父親)と女の子たちだけが心の傷を抱えながら「あの子たちは一体どうなってしまったんだろう?」と思いながら生き続ける──その結末こそ、この映画の本当に怖いところだと思います。これこそがこの映画の後の未来、70年代、多くのアメリカ人個々それぞれの身に起きる「本当のスケアリーストーリーズ」なんです。

しかし、さらに怖いところ、この映画が実に良く出来ているところ──それは、「過去のアメリカの悲劇」を暗喩的に描いているだけではなく、もう一つ高次元、「今の世界の悲劇」のメタファーにもなっている点だと僕は思います。

この映画の「社会的悲劇の原因」はベトナム戦争それ自体に置かれるのではなく(直接的なイメージは可能な限り遠ざけられています)、まさに冒頭に表示される1968年、「ニクソンが大統領に選ばれた事」にフォーカスされています。……お解りですね?「選ぶべきではなかった大統領を選ぶ事によって恐ろしい未来の物語が描かれ続けてゆく」──この映画自体が、まさに現在進行形、アメリカと世界が歩み続けている『怖い本』のメタファーである事……。

「主人公にしてあげる。とびきり怖いお話の……」

このコピー、さて、一体誰に向けられた言葉なのか……。僕にとってこの映画、他に類を見ない極上級のホラー映画でした。

『スケアリーストーリーズ 怖い本』 上映中