『葛の葉』

時蔵の葛の葉である、という以外、特に言うべきことない葛の葉。その安定を流石と思うか退屈と思うかは個々時々の気分によるものかもしれない。子役とのやりとりにあと少し突き抜けるところがあれば、芝居全体の情感はより味わい深いものになったのではないだろうか。

この場の保名にやつれの芝居の必要はないとは思うものの、萬太郎の保名はちょっと健康的、楽天的にすぎる印象。場の前と後、色々なバックグラウンドをもつ人物の「一瞬の素描」という事を意識して役作りをすれば、この人はもっともっと良くなるように思う。

松之助と吉弥の庄司夫婦の渋さが良い要。

『弥栄芝居賑』

関西・歌舞伎を愛する会40周年の祝いの口上。秀太郎の重要無形文化財保持者認定の日、一層目出度い芝居前の賑わい。「人間国宝」の「いじり」があるかと思いきや、そんなことはおくびにも出さない奥ゆかしさが、女形、上方、松嶋屋、それぞれ総合の美意識を感じさせる様でより一層嬉しかった。

仁左衛門の口上、関西歌舞伎を愛する会(前身・育てる会)の発起人・澤村藤十郎への謝意、「四十年前はこの場の若手の皆さんはまだこの世に生まれておらず、そして、坂東竹三郎さんは47歳でした」という温かな冗句、そして、各役者の口上を笑顔で聴く姿。芝居ではない口上ながら、仁左衛門の素晴らしさをたっぷりと堪能できる一幕であった。

『上州土産百両首』

昼の部の豪華さに比べるといささか動員力に見劣りする演目だなぁと観る前は思っていたが、実際拝見すると非常に上質、素晴らしい上州土産百両首だった。

まず芝翫の正太郎が素晴らしい。この人は頑張って丸本、時代物を演るよりも、こういった世話の男のやるせない人情を表現する方が抜群に良い。しかし、それは時代物も充分勤められる堂々とした土台があるからこその「厚み」であるのかもしれない。個人的に、この人にはこういった役をどんどん観せてほしいと願う。

菊之助の牙次郎は思わぬはまり役だった。「はまり役」というのは少々言葉が違うかもしれない。丁寧な役作りによって、本来「はまり役」ではない自らをまんまと「牙次郎」という役にはめてしまった──という方がより近い。一幕目、正太郎に切々懇々と道理を説く姿は、まるで藤山寛美の芸風「情の中の道理・道理の中の情」を思わせ(褒め過ぎかもしれない。が、その魂は確かに感じた)、二幕目、再会した正太郎に十年の月日を語る場面では、まるで幕間の10分間に本当に苦節の十年が存在したかの様な、牙次郎という男の人生の十年分を感じさせる深い深い味わいが言葉に満ちていた。この芝居での菊之助は同じ夜の部・『葛の葉』の時蔵とは対蹠的で、本来のこの人の魅力を安定的に観せる芝居ではなかった。が、こういった意外性ある役への挑戦と成功は「益々発展途中」の役者には確実に大きなプラスとなるはずだから、是非今後とも挑戦を続けて欲しい。

そして三次の橋之助。目を見張る彼の成長はこの芝居の一つの大きな驚きだった。少し欲を言えば、婀娜っぽい女形の様な発声がいささか気にはなるものの、ほんの数年前とは別人と見違える様な堂々とした役者ぶり、情感、身ごなし──これは見事な大成長と絶賛して嘘ではないだろう。関西歌舞伎座を育てる会・愛する会で若い人が育つ姿を見られる事……こんなに嬉しい事はない。

彌十郎、扇雀、猿弥、皆良い。


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