【一本の映画が、まるで生きる事そのものを表現しつくしているかの様な驚くべき傑作──。人生は色々な分岐と偶然に充ちている。一歩間違えれば「死」が待つ綱渡りを辛うじて生き残った夫婦の物語がキューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』。この映画はその逆、皮肉な運命の分岐の巡り合わせによって、どこにでもいそうなカップルは恐るべき結末に辿り着く……。しかしこの映画、ただのサスペンス映画の次元にはとどまらない。映画史上稀有なまでの暗喩と企みに充ちた驚くべき異次元の傑作】

色々と忙しい時期だったのでつぶやきの備忘録だけで済ませようと思ったのですが、この恐ろしく素晴らしい映画、僕は感想をアップせずにはいられませんでした……。以下、まず鑑賞直後のつぶやきのまとめです。

「最恐の映画」とキューブリックが絶賛──という惹句に半信半疑で出掛けたが(この手の惹句は危険信号)この映画は正真正銘の本物だった。死ぬまでに観ておくのと観ていないのでは人生の意味さえ違ってくるレベル。いわゆる大作ではないが、深夜映画で観て題名を忘れると「あれ何だっけ?」と一生引きずり続けてしまうような映画。

この辛さ、不安、恐怖の巧妙な演出は、他の映画でも「ありそう」ではあるのだけれど、実際なかなか出会う事はない。感覚的に一番近いのは『フェノミナ』の冒頭の不安感、心細さ、恐ろしさが延々続くという感じだろうか?

だが、この映画の最も傑作たる点は、物語は一応決着はするものの、主人公が最も知りたかった物語の動機「WHY」が、彼にだけは解らないまま終わる所にあるだろう。後半、本当なのか虚言なのか判らない、犯人の異常な告白の物語の地平で、唯一信用できる公的なやり取りで観客だけに仄めかされる犯行の真の動機。

犯人の〇〇〇〇〇の反転としての犯行……。怖い。怖すぎる。

この「観客だけに明かされる真相」という巧妙な手法によって、この映画自体、結末と同じく永遠の不安の中に閉じられるという構造になる。巧い。 ソフトで手軽に観られない状況というのも良い。映画館で観れる今、必見。

まあ、大体こんな感じの感想だったのですが、以下、少しだけ追記します。

この映画、結末がとても後味が悪く、やもするとそこに注目されがちなのではないかと思います。

実際、制作から30年経った今でも相応に衝撃的な結末なのですが(けれど、ショック表現に慣れた今の観客には物足りなく感じられるであろう事は間違いありません)、僕が思うにこの映画、このオチにだけ着目してしまっては、映画全体を覆う運命論的な偶然の巡り合わせの恐ろしさ、そういった「運命」が様々なイメージで暗喩される詩的な映像美、そして、人間の選択や認識の不合理さ・不確かさを巧妙な企みで語る構造美の本質から目が逸らされてしまうのではないかと思います(それすらも監督の企みと思える節はありますが)。

僕はあと数回は劇場で観たいと思っていますが、冒頭のトンネルの暗闇、「黄金の卵の夢」のイメージ、その他画面に登場する「楕円形のもの」、昆虫……これらは映画の中の様々な部分とリンクしていて、恐らく観れば観るほど「運命論的なイメージの美学」が一層際立って感じられる事だろうと思います。このあたりの感覚は、もう、映画でしか表現不可能なレベルのイメージの遊戯で、言葉で伝える事は到底不可能、映画を観るしかないという次元の見事さです。

そういった「観なければ判らない」という映画全体としての魅力のほか、理屈として「見どころ」と思う部分がいくつかあるので、それだけを最後に記してこの感想を終わりにしたいと思います。

【各見どころの本文にはネタバレ的な側面もあります。これから本編を観られる方は見出しだけご覧下さい】

見どころ① 予行演習を失敗し続ける犯人の描写、面白いんだけど、多分これ、単なるコメディシーンではない。

犯人の予行演習や犯行未遂は何度も失敗し、ある種コメディーのようにしてフィルムに収められます。これらはなかなか面白い場面なのですが、思うに、これは単にコメディシーンとしてだけの演出ではなく、「犯行」の偶然の(運命的な)成功という、この映画の真の恐ろしさを際立たせる非常に念の入った伏線であろうと僕は思います。

「犯行」の直前、一つ前の未遂で、犯人はいよいよ成功するかという瞬間に驚くべき失敗を犯してしまい、自らも呆れ、愚かな妄想を放棄するかのような「普通の人間に戻る」瞬間を見せます(……というか、ここまでは不埒な犯罪妄想に浸って未遂ごっこを繰り返しているだけの、まぁ、ある意味「普通」の範疇の人間です。彼もまた、この後訪れる「運命」によって一線を超えてしまうことになります)。それまでの「未遂・妄想」の遊戯に決別し、それ以上事を続ける気を失っている犯人に、偶然ヒロインが声を掛けてくる……。このヒロインとのやりとりの間、ついさっき放棄したはずの妄想の実現の可能性に犯人の心が揺れ動くシーン、これは映像に収められた「心理の揺れ」の演技・場面・表現として極上、映画史上の名場面中の名場面だと僕は思います。このシーンはラスト以上に本質的に恐ろしい、この映画一番の「見どころ」、盛り上がりの頂点でしょう。

見どころ② あれ? これ、本当にこの人の犯行?

この映画の構成構図は非常に見事、全編にわたってほぼ完璧だと僕は思います(作為的なものが及ばない、ある種運命論的な曖昧さも含めて)。しかしこの映画、その他全てのシーンの必然性や有意味性に比して、二ヶ所ばかり「あれ?」と思える不自然な作為があります。

一つは見どころ③の本当の動機に関わる「高速道路で車を止められるシーン」(後述)ですが、もう一つが最後の最後、別荘の芝生をカメラが舐めるように撮影するシーン。

普通のサスペンス映画だったなら(例のオチを本当にオチとする様な映画だったなら)、ここには「ある痕跡」が映し出され、最後、恐怖のダメ押しがなされなければならないはずです。が、それらしきものは何も写っていない。(一回観ただけなので、僕が見落としているだけかもしれません)

犯行の予行演習を何度も繰り返す犯人の姿は、作中で犯人自身が告白する『反社会型』というよりも『妄想型』のパーソナリティー障害の気配を感じさせ、それゆえ後半、犯人が語る「告白」の物語の地平はどうも信用が置けません。

「例のオチ」を真実と鵜呑みにせず、この映画の後半に漂い続ける「嘘か本当か、実際のところ全くわからない」という作為を汲み取って観れば、実は作中における真実は最後に映る新聞記事たった一つで、その他全ては庭に佇む犯人(男)がその事件から膨らませた妄想かもしれない……という違った結末さえも見えてきます。(はっきりどちらとは言えない)

この映画はオチを無批判に信じてしまえば決して真実に至る事は出来ず、映画自体を疑い、構造的本質を見極めようと能動的に思考しなければ真相は見えてこない……という、物語内的にも、作品構造的にも、いずれにおいても「自らの力で真実を見極めなければならない」という事に主題が置かれたフラクタルな構造の映画になっています。凄いです。

見どころ③ 犯行が事実だとして、犯人の本当の動機は?

これはツイートで伏字にした部分です。見どころ②に書いた劇中二ヶ所の「不自然な作為」の一つ「高速道路で車を止められるシーン」──ここに非常に巧妙に犯行の真の動機が隠されていると僕は感じました。

信用の置けない語り手による「告白」の後半部分において、このシーンでは唯一信用できる公的なやりとりによって犯人の「ある恐怖症」が事実認定されます。この場面はそれまでの幻想的(妄想的)な物語の自然な流れを断ち切って無理やり挿入された感のある、いかにも不自然なシークエンスです。犯人の唐突でおかしな言い訳に、観客は「そんな馬鹿な」と思うんだけど、警察官は証明書を見て納得する。ここで観客は「おや?」という違和感を覚える──というのが、この物語の真相の非常に巧妙な伏線になっている。ここは一見、車中での会話を途中で遮るための演出のようにも見えますが、この監督の巧さから考えて、その為であればこんな下手な演出をする訳がない。

ツイートにも書きましたが、このやり取り、犯人だけが車外に出て警察官と話すので、車中に残った主人公にはその真相は伝わらず、観客(映画の外部)にだけ真相が明かされる形になります。この構造によって、逆説的にこの映画内では真相は永遠の闇の中に葬られる事となります。これもまた、映画の結末と映画の構造自体がフラクタルな構造になっています。まるで映画自体が棺桶の様な映画です。凄いです。

……しかし、では何故、その恐怖症が犯行の動機なのか?

……しかし、では何故、その恐怖症が犯行の動機なのか?

その動機と犯行の整合性、僕は非常に納得できるのですが、さて、皆さんはいかがでしょう? これに納得できた人は、もしかすると……。 (なんて、似非サイコパス診断にも使えそうな恐ろしい映画ですね。映画ファン必見の大傑作です)

ザ・バニシング消失公開中


2 のコメント

  1. ※ネタバレ的コメントです

    こんにちは。
    犯人の計画が色々とザル過ぎて見てるこちらは“やる気があるのか!”と少々怒り気味でしたが、新聞記事からの妄想…って見方はなるほど!と思いました。

    最後の別荘の場面では奥さんが背の低い二本の植木に水を遣りに来てるのを見てここか!と思いましたがとすると同じくらいの背丈の植木というのもおかしいのですよね……(もしくは車の足元?)
    ヒロインを主人公と同じようにしたのであれば、彼女が一番恐れていることを生きてる間に聞き出し(叫び声の到達範囲の研究してたし)行った、と言うのが一番怖かったです。
    恐怖症がいっしょだったのは偶然でしょうか…。

    金の卵と木の根もとの二枚のコインも何かの暗喩なのか…機会があればもう一度観たいです。
    Blu-ray化して欲しいですね。

    Mii
    1. コメントありがとうございます。
      同じ映画を楽しめて光栄です!

      あくまでも私見なのですが、この犯人、被害者が怖がるとか苦しむとか、そういった事を楽しむ真っ当な(?)犯罪者的発想は持っていないのではないか──と僕は感じました。
      彼が「あの恐怖症」ということだけは映画内では「本当の事」なので、閉じ込められるのが怖い彼は、恐らく、誰かを閉じ込める事(あるいはその妄想をする事)によって、つまり、自分自身が閉じ込める側になるという事によって、その恐怖心から一時的に解放されていた「だけ」なのではないでしょうか?
      なので、同じ恐怖症を持っているヒロインに苦痛を与えたいとか、不埒な加虐を楽しみたいとか、そんな気持ちはさらさらにない……。(クロロホルムはたった18分程度しか効かないと、この人はそもそも解っているのでした)
      サイコパスとは反社会的な「悪」を恣意的に行う者を指すのではなく、個人的な些細な理由で平然と恐ろしい罪を(罪とも思わず)犯すことを言う……。
      怖いですね。(私見)

      稲羽 白菟

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