【役者と監督、Wの意味で「嘘(フィクション)作り」の大名人、クリント・イーストウッド。もしかするとこの映画、そんな彼自身の人生の総決算、主人公が情熱を傾けた儚い花デイリリー──最高に美しく、最高に感動的な最後の一咲き……となるのかもしれない】
「もう自分が演れる役はハリウッドにない」と言っていたイーストウッド。
否、この運び屋の爺さんはこの人にしか演れないです、本当に……。
他の役者なら、きっと、もっといやらしい「作りものの爺さん」になっていたんじゃないかな?
当然、映画なのでこの「運び屋」の爺さんは作りものなわけですが、自分がのめり込む園芸の仕事に明け暮れ過ぎた結果妻に去られ、実の娘からも徹底的に憎まれてしまっている可哀想な爺さんは、ある意味、映画作りに明け暮れた老境のイーストウッド自身の姿と重なって見えます(娘役で出演している女優、アリソン・イーストウッド=「実の娘」に憎まれていたかどうかまでは知りません)。
それゆえに、最近この人の定番になっている「実話を基にしたノンフィクション系映画」以上に、映画人としてのイーストウッド本人の「実話(リアルな人生の総決算)」の様に僕には見えてなりませんでした。
(……この作品も実話がベースらしいですが、三面記事から「着想を得た」程度の事で、映画自体はヒューマン・ドラマ系の娯楽映画、非常に上手く作られたフィクションです)
この映画、脚本が本当に良く出来ていて、前半三分の一ぐらいは普通に面白いよく出来たオーソドックスなドラマ映画なんだけど、中盤から「爺さん、そんなんだから、あんたは……」と観客をやきもきさせ、最後には「爺さん頑張って!!」と応援せずにはいられないほど観客の心を引き付けます。
イーストウッド監督、やっぱり話の見せ方が上手い。
しかしこの映画、多分、俳優としてのイーストウッドの総決算、役者人生の掉尾を飾る最高傑作──と評価されるのが最終的に正しい様な気がします。
退役軍人で、家族に見捨てられ、汚れ仕事に手を出してしまう孤独で偏屈な爺さんなはずなのに、その静かな眼差しに暗さや諦めはなく、むしろ、時に可笑しく、温かく、愛らしさまで感じさせてしまう──これはもう「演技」ではなく、濃厚な経験を積み重ねた老名優にしか表現し得ぬ『境地』でしょう。
……
「総決算」とか「掉尾」とか、まるでこれがイーストウッドの遺作になるかの様な語り口で語ってしまっていますが、縁起の悪い意味ではなく、ここまで見事な「役者としての到達点」を見せた以上、ご本人もこれが最後の映画でもいい──と満足しているのでは?という気がしなくもありません。
今回のイーストウッド、『黄昏』のヘンリー・フォンダの境地を彷彿とさせます。
あの映画でもヘンリーは実の娘ジェーン・フォンダと共演していました。
『黄昏』を遺作に亡くなったヘンリーと違い、きっとイーストウッドはまだまだお元気だろうと思いますが、この映画はイーストウッドにとっての『黄昏』に相当する「極め付けの一本」になる事は、まず間違いないでしょう。
思った以上の名作でした。